箱庭のきっかけ
箱庭をやろうと思ったきっかけは、今井先生の「大丈夫。生きやすくなるよ」の声かけがきっかけでした。
このときのわたしは、
「生きづらさ」やトラウマを、いまさら癒す必要はない。「このまま生きていこう」と決めていました。
仕方ないなぁ癒やしてやるか
諦めていたわけですが、今井先生の言葉に好奇心が湧いてきたのを今も覚えています。
ここから、夢分析と箱庭がはじまりました。
いつものように
わたしの場合、砂を触るまで自分がどんな箱庭を作るかはわかりません。
頭で考えると左脳がはたらき
砂をさわると右脳が動き出す。
最後に出来上がった箱庭を左脳で確認する。
毎回こんな流れで箱庭を置いています。
わたしは積み木で固めるように丁寧に崖をつくっていた。
駅舎と線路を引いて、誰かがやってくるのを待つように車掌さんを立たせる。
炎と灯籠をおいたら、崖に木を並べた。
並べた並木の向こうではお祭りが始まっていた。
「出来た」とわたしは今井先生に告げる。
伴走者の存在
ここから左脳で確認していく作業に入る。
確認していく作業は、安心して自分の内面をさらけ出すことができる伴走者が必要になる。
ときとして、自分が知らない自分に出会って戸惑うことや、不安になってしまうことがある。
そのためにも安心できる空間であることはとても大事なのである。
わたしの箱庭を俯瞰してみていると、夢告堂サロンの壁に掛けられていた、
「熊野観心曼荼羅」に似ていることに気がついた。老の坂の「青年期から中年期」に当てはまるんじゃないかと思った。
熊野観心曼荼羅
わたしの箱庭はすっぽりと「熊野観心曼荼羅」に当てはまっていく。
「日輪」と「月輪」
「お祭り」と「盆踊り」
「あ供え物」と「施餓鬼」
すっかりと熊野観心曼荼羅である。
「もう、一回やってみるかい?」
そう、今井先生から声をかけられた。
もう一回箱庭をする?わからないといった顔をしていたのだろう。
今井先生が、小さな箱庭をやってみないかと続けた。
「やってみたいです」
小さい箱庭
大きな箱庭の向かいに小さなサイズの箱庭がある。
わたしはここで、また箱庭をつくるのかと少し困ったが、砂をさわってみた。
イヤな気分と一緒に、置いてみたいビジョンがみえた。
同時に恐怖や嫌悪感も感じた。
しかし全部を出してしまえばどんな箱庭になるのか好奇心が出てきた。
置き終わり、今井先生に思ったことを話す。
話しながら、涙が出てきた。
自分が可哀想になったり、悲しかったり、怖くなったり、
小さいわたしは必死でこらえてきたのだろう。そんなわたしが可愛そうになった。
こころの奥底で出すことの出来ない感情が、箱庭として可視化できたことは恐怖と一緒に安心感をもたらした。
「こんな感じだっただね。見れてよかった」
このときのわたしは疲れ果て、放心していた。
今井先生が、大丈夫。大丈夫。と声をかけてくれている。
伴走者の本当の意味や大切さを知り、自分がどんなセラピストになるべきか、また、人とどう関わるべきか考えた。
わたしが思ったこと
カオスと化した箱庭を見ながら、ふと思った。
「こちらの世界のほうが安心するのは、こちらの世界のほうが親しみを感じている、わたしがいるとということですね」
今井先生が、なにか伝えてくれたが、放心しているので覚えていない。
ただ、少しずつ、「安心してもいいんだよ?」と自分に許可をし、安心出来る世界に移り住みたいと先生に伝えた。
今井先生は二カッと笑って「大丈夫!出来る。出来る」と繰り返した。
箱庭の取り扱いについて
自分の箱庭であっても、箱庭の写真を出すことは、こころの暴露になるので推奨されておりません。そのため、出せる範囲での掲載とさせていただきます。
参考図書:地獄絵図「熊野観心曼荼羅」絵解台本/著者:小栗栖賢治