箱庭

はじめての箱庭セッション

きょうは夢告堂にて箱庭セッション。
自由にはじめて良いとのことで、箱の砂や人形を見てさわって確かめる。
壁一面に並べられている人形などをさわってみたけど、しっくりこない。
何も無い箱庭をながめながら、砂をさわり、自分のこころの向くままに手を動かすことを決めた。

箱庭とは?

「浅い箱に土や砂を入れ、小さい橋・家・人形などを置き、木や草を植え、庭園・山水などに模したもの」

をさすようです。

箱庭療法とは?

心理療法技法の一つ。セラピストが砂を入れた箱と玩具 (がんぐ) を用意して、患者に箱庭作品を作らせる。作品を作る過程完成した作品から患者の深層心理を読み取り、治療に役立てる。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

今日のセッションはチューリッヒ・ユング研究所ユング派分析家(国際ユング派分析家協会会員)である夢告堂主宰者、今井先生のもとで行われました。

箱庭になにをおく?

「人形じゃないな」

「このままやろう」

まずは平らにしないといけない。

箱庭の砂を平らにしていく、できるだけ均一に。

そして、「在る」の対比「無」をつくらないと、

「先生、なぜ砂の下は青なのですか?」

ふと聞いてみたが、指の感触と、こころの動きに思考を挟みたくなくなり、そのまま指を動かし続けた。

 

指で箱庭をつくる

 

はじまりは「丸」だとおもい、指で砂を真ん中に丸をつくっていく。

「あぁ、うまく丸にならない。けどこれでいい」

やり直しの思考ははさみたくない、このまま動かし続けよう。

指や道具を使って、頭にあるビジョンを目に見える形として砂に刻んでゆく。

出来上がった箱庭にわたしは納得した。

 

カラスと目が合う

ポイントは、このカラス。

カラスはここがいい。
ここでしかない(今は)

このカラスは、この作業の間もわたしを眺めている。わたしがどうなろうと眺めている。

もっと原始的に儀式的に

「人がここにはいないなぁ」
置けるものは自然物のようなもの、

「うん。石だ」

そうだね、石だね。と先生もいった。

ここは、私自身もよくわからなかった。
円の中央には、なにも置く予定にしてなかったが、コロコロと手の中で石を遊ばせて、なんとなく、丸のなかに置いてみた、置いてみるとしっくりきた。

石の意味を考える

この石の中にねぎしさんはいるの?と先生。

「ピンクは母親」

「水晶とその横の石はこども」

父親は?と先生が聞いたので、

「黒が父でいいかな」

その他の石は?

「その他のなにか、なんでもいい、そのときで変わるかもしれない」

「そして、、、木がわたし?木がわたしになるね」

中心にいるのが、ねぎしさんだね?

「、、、こう並ぶと、そうなる」

中心にいることがわたしなのかと、今、考えてもわからない

「けど、、」

あのカラスもねぎしさんでしょう?

先生の言葉に、

「そう!あのカラスも、わたし!」

そうしてこの状況も見ているねぎしさんがいると?

「そう、いまの状況を見ているわたしがいる」


青い部分を黒く塗ってみました。

 

セッションを終了して思うこと

一通り話して落ち着いたら、今回のセッションは終了した。

わたしは心の中にある「無」のことを、一通り説明してスッキリしていた。

それにしても、あのカラスを置いたわたしは天才かもしれない。
あそこにいないといけないんだもの。

 

なんでも創作しているときは、自分が天才かもしれないと思えてくる。
が、出来上がったものをみて、やはり凡人だとガッカリする。
何も目新しくない。

チベットの砂曼荼羅

チベットで砂曼荼羅は描いたら消す話を先生が教えてくれた。調べてみて、それが正解なんじゃないかと思う。二度と同じものと出会えないその瞬間、瞬間存在して無くなる。

「諸行無常」

 

最後にできあがった箱庭をもと戻す

セッションが終わり、箱庭をもとに戻す。

悲しい気持ちになるのだろうか?
自分のこころを観察する。

箱庭はあっという間に砂だけの状態になった。
平らでもない。ボコボコと底の青がみえている。

これでいい。
とらわれなくていい。
自由でいい。

 

 

 

 

 

 

 

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ねぎしさん
クレイテラピスト アロマフランス認定クレイ講師 占い師